今日は朝からついてない、と女の子は息を大きく乱しながら走っていた。
朝7時にセットした目覚まし時計がベルを鳴らさず、彼女は弟の尽が家を出る時に起こしてもらうまで布団の中にいた。
いつのまにか時計の電池が切れていたらしい。
彼女はすぐさまパジャマを脱ぎ捨て制服に着替えると、朝ごはんを食べる暇もなく身支度を簡単に整えるぐらいで家を飛び出した。
しかし往復している通学路を走っていたら、すぐに辞書や教科書が入った重い鞄のせいで今朝はやけに長く苦しい道のりとなった。
まるで錘(おもり)を右手で持っているようだと彼女は氷室零一を恨んだ。
学園一厳しい数学教師・氷室零一がクラス担任のせいで、毎日宿題が山のように出され、おまけに机の中に教科書や分厚くて重い辞書を置いて帰るのを許さなかったからだ。おかげで走ると腕がどんどんだるくなっていく。
我慢できなくて左手に鞄を持ち帰る。
『何でこうなるのよーー!?』
見慣れた景色が少し早めに動く。
デフォルメされた象の滑り台が見えた。
左手に巻きつけた腕時計をちらと見遣る。
いつもなら、とうにこの公園は通りすぎている時間だ。
肩までしかない色素の薄い髪を左右に乱れさせながら、女の子は真剣な表情で両足を大きく動かしていた。
反対側の手には淡いグリーンの袋に入った、昨日リボンと布でラッピングしてもらった平べったい楕円形の物が入っている。
両方の端をサテンの細い緑色のリボンで結び巨大な飴の包み紙を思わせるそれは、誰かにプレゼントするものだった。
「今日は葉月くんの誕生日なのにーーー。」
彼女は泣きそうな顔で声を荒げた。

10月16日。
はばたき学園高等部で一番の有名人である葉月珪の17回目の誕生日であった。


「特別な日」


チャイムが鳴り終わると同時に何とか教室に滑り込んだ彼女は息を整える間もなく、氷室がやってきてすぐさま席につかなければならなかった。
すでに机に突っ伏して寝ている葉月を横目で見ながら、真っ先にプレゼントを渡せなかったことを悔やむ前に、間に合ったと思っていたHRに遅刻したと氷室から注意を受けた。
「え、でもチャイムと同時ですし・・・。」
「チャイムが鳴ったら席についていなければならない。」
彼女が例え天才の葉月や一番の秀才である守村とテストで競い合っていても、厳格な教師は大目に見ることは有り得ない。それほど公平に誰にでも厳しいから、はばたき学園一と異名を取るのだ。
貴重な彼女の休み時間は、氷室の手伝いを命ぜられた為に無くなった。
「えええええー!そんなああーーー。」
つい思ったことを叫んだ時、氷室の眉間の皺が一層濃く影が出来たことに彼女は気付いていなかった。

それからの彼女は坂を転がり落ちるように運に見放された。
一時間目のと二時間目の休憩時間は氷室から配布する為のプリントを3階の職員室まで取りに行き、プリントを配り終えた頃には貴重な休み時間は終わっていた。
その次は体育で、移動と着替えに時間を割かれた。
4時間目が終わって待ちに待った昼休みだが、肝心の渡す相手がいなかった。
「ええっ!?葉月くんどこ行ったの?」
体育館の裏でいつもなら猫と戯れている葉月がいないのだ。
学校で静かな場所と思い当たるのは図書館だが、そこにもおらず、視聴覚室など日頃あまり出入りしない教室まで覘(のぞ)いたが、目立つ金色の髪はどこにも見つけることはできなかった。
「はあ〜・・・一体どこに行ったんだろ・・・。」
その頃の葉月は、1年生の女の子からのプレゼント攻撃から逃れるために、屋上でご飯を食べた後、秋晴れに誘われて壁にもたれ眠りこけた。
同級生の藤井奈津実と紺野珠美がはばたきウオッチャーの雑誌にモデルとして写っている葉月と、目の前で無防備に寝顔を晒す葉月を見比べて「全然違うよねえ・・・。」と少し呆れた顔で呟いた。
女の子二人から噂されても、一人の女の子が紙袋を抱えて今朝と同じ一生懸命な顔で学校中を走り回っていても、葉月はそれを知らず柔らかくなった秋の陽射しを受けてまどろんでいた。

昼休みが終わり、午後から二時間授業を受けると、あっという間に放課後になった。
「今日は1日ついてない・・・。絶対厄日だ・・・。」
色素の薄い瞳を揺らしながら彼女は呪いを吐くように呟いた。
5時間目の数学が終わった後渡そうと考えていた彼女は、厳しい氷室の数学の授業を真剣な顔つきで聞いている素振りをしつつ、何事もなく無事に授業が終わりますように、と切実に終了時間を待ち望んでいた。
ところが、隣の机にいた葉月はお腹一杯になったせいか、いつものことか、机に突っ伏して寝てしまったのである。彼女が気付いて起こそうとした時には、眉間に大きな皺を寄せて葉月の傍で静かに怒っていた氷室が腕組みをして立っていた。
言い訳できないと彼女は悟った。氷室は後で職員室に来るようにとそれだけ言って授業を再開した。葉月の居眠りは今に始まったことではなく、1年で担任教諭になった時からだ。教師も馴れたものだった。
しかし説教はきっちり受けたらしく、6時間目ぎりぎりまで葉月は戻ってこなかった。
放課後、今度こそと息巻いていた彼女は、HR終わりに氷室から進路指導用のプリントの作成を手伝うことを命ぜられ、一緒に帰ろうと誘って頷いた葉月を残して、職員室へ連れて行かれる羽目になった。
ぶつぶつと文句を言う目の前には二年生全員分のプリントが2つの小山になって机に積まれていた。
「これを各一枚ずつ取り、ホッチキスで止めなさい。合計300部になるはずだ。」
「300部・・・。」
彼女はしばらく呆然とした後、我に返り決意をした。
早く終わらせて、葉月の家に行って渡すことを。
一枚ずつ進路指導のプリントを重ねて、20枚ずつになったら束を縦横交互に入れ替えれば何枚あるか数えやすいと考え、早速プリントを手に取って作業し始めた。
必死で二つの小山から紙を取り重ね合わせてホッチキスで止める。
しかしやる気を出したものの、終わりそうにないプリントの山にすぐに挫折しかかった。
逸(はや)る気持ちに、手が追いついていないせいだ。
「このままじゃあ遅くなって葉月くんにプレゼント渡せないんじゃあ・・・。」
心配が口から零れ出た。
今年は渡せないという可能性が出た途端に、女の子の作業するスピードが目に見えて遅くなった。
「葉月くんが気に入ってくれそうなもの、やっと見つけたのに〜。」
項垂れて色素の薄い瞳が大きく揺らいだその時、「俺、お前のプレゼント、欲しい。」女の子の隣で呟く声が聞こえた。
二年間聞き慣れた声。
今彼女が一番聞きたい声でもあった。
「葉月くん!?どうしてここに?」
驚いて大きな目のまま顔を振り上げると、いつもの金色がかったきれいな栗色の髪と淡い緑色の瞳を持つ端整な顔の葉月珪が彼女の右隣に立っていた。
「ん?・・・ああ、お前と一緒に帰るって、約束したから・・・。」
「え・・・?」
葉月の答えの意味をじっくりと噛み砕いて理解した途端、女の子の頬がみるみる赤く染まる。
恥ずかしくてつい顔を俯けた。
『葉月くんは優しいな・・・・。』
彼の好意を、女の子は親しい友達として認めてくれたんだと、大きな勘違いしていた。
葉月の為にプレゼントを買った本当の理由を、自身がまだ気付いていない。
そして彼も秘かに芽生えた気持ちを、何故かひた隠している。

―すれ違うままの心は、いつ交差するのだろうか―。


紅葉のように真っ赤に色づいた頬を握り締めたプリントで隠して黙ってしまった女の子をちらと見て、葉月は頭を優しく軽く撫でた。
「それに、お前今朝から変な顔ずっとしてたから。」
わざと軽い口調で呟いた葉月の言葉を、女の子は聞き逃さなかった。
「ええ!?私どんな顔してたの!?」
恥ずかしさを忘れて彼女は振り仰いだ時、葉月と目が合った。
やっと女の子の顔が見られたことに、嬉しくて葉月はつい口元を綻ばせた。
微笑みの意味を気付かず、彼女は色素の薄い色の目を見開いて美しい微笑みに見惚れた。
みるみる耳まで赤く染まっていく。
「・・・なあ、口より手を動かさないと帰れないぞ。」
答えを聞くのをすっかり忘れていた女の子に、葉月は言葉を返す。
「あっ・・・!!」
やっと今日中に終わらせなければいけない仕事を思い出した。
「・・・・いいもん!絶対後で答えてもらうんだから!」
ぷうと頬を膨らませて彼女は手を動かし始めた。
いつしか女の子を見る葉月のグリーンの瞳は、慈しむように優しい色を帯びていた。


女の子は知らなかった。
実は葉月が今朝から落ち着かなかったことを。
髪の毛を乱したまま息を切らせて教室へ入ってきた女の子が大事そうに抱えていたプレゼントをいち早く見とめた葉月の方が、心がせくのを止められなかったことを。
自分の誕生日をこれほど待ち望んでいることは初めてだということを。




FIN









<あとがき>
遅くなって本当に申し訳ありませんでした!
葉月くーーーーん!!お誕生日おめでとーーーー!!
ドキドキさせられなくてごめんねええええええ!!!(T◇T)
どうしたら主人公ちゃんをドキドキさせられるのか、BLコミック読んでても難しいったら!!←読むジャンルが問題(笑)
少しそっけない葉月くんが好きモードに移行したら自分から動きそうなのと
いい加減鈍い主人公ちゃんをどうやったら好きってならせるのかっ!?
絶対無理!って思うほど難しいです!
一日で焦って書いたのでまんまですが(笑)
仕事で忘れかけている愛と萌えを精一杯詰め込みました。
読んでくだされば幸いです
<2015/10/21>

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