「思い遣り」 激しい暑さをもたらした夏が終わり、秋の気配が急速にやって来た。 日が暮れるのが早くなり、朝晩の風が冷たさを含むと、落ち葉がゆっくりと色づいていく10月のことだった。 はばたき市の湾岸地区に建つ高層ビル、はばたきタワーの中で静かな闘いが繰り広げられていた。 カップルだろうか、一組の男女が静かに睨み合ったまま動かない。 一人は色素の薄い髪と同じ色の瞳を持ち、頬を紅潮させてあからさまにむくれている女の子だ。 女の子、という形容はそろそろ似合わない大人っぽさを漂わせている。 「零一さん?どうしてもダメなんですか?」 彼女が先程から何度も同じ言葉を繰り返し、零一と呼ばれる男性に尚も食い下がった。 「駄目なものは駄目だ。全く君は何を考えている? 俺の寝室は落ち着けるようにと、どの色にも干渉されない黒、もしくはそれに類する色、グレーで仕上げている。 確かに、君の希望を叶えると俺は約束した。 だが、それは部屋の役割に沿ったインテリアにすればいいという意味で、何でも君の思い通りという意味ではない。 大体、睡眠を取る為の場所としての寝室に、こんな不調和の極みなど必要ない。 君の粘り強く諦めない姿勢は長所だと思うが、こんなくだらないことに使うべきではない。 いい加減その膨れっ面を止めるんだ。」 まるでどこかの学校の教師が、出来の悪い生徒に説教をしている口調だった。 一方的に丸め込もうとしているところが、言葉の端々に見受けられる。 どうやら痴話げんかの類ではなく、部屋のコーディネートについて揉めているようだった。 相手の男性はやたらと背が高い。 180cmを超える長身の男性は、薄手のウールのジャケットを羽織り、中のシャツは黒で、ラフな黒のジーンズと色を合わせている。銀縁のフレームから覗く冬枯れの湖面のように澄んだ瞳は厳しさを持ち、眉間の皺が一本縦に深く入っていた。彼は腕組みをしながら目の前の女性にどうすれば納得してもらえるのかと思案している。 「零一さんのうそつきっ! アレ付けると可愛いじゃないですか!?」 一方相手の女性はくだけた物言いだが、尊敬する気持ちはあるのか語尾は丁寧な言葉を使っている。 「最近の若者の風潮か知らんが、物事を何でも”可愛い”の一言で決め付けられては困る。 あらゆる物や現象に”可愛い”という言葉は使用できない。 君も来年の3月で大学を卒業するのだから、ついでに可愛いからも卒業しなさい。」 「えええ〜。そんなあ〜!!」 あからさまにむくれた顔になり、口を尖らした。 「俺の提案はこうだ。第一案はベッドを買い換える。ベッドは背が伸びた高校生の頃から使用しているからな。 木枠やスプリングなどきっと磨耗していることだろう。第二案はベッドのスプリングだけを変えてカーテンなど大きなインテリアで部屋の雰囲気を替える、だ。ただしその時はベッドに合う色を希望する。」 「零一さん?3に”これを付ける”っていう選択肢はありませんか?」 恋人が、まるで教師に質問するように手を挙げた。 「有り得ない。」 呆れた顔つきできっぱりと言い切り、彼女の願いを跳ね除けた。 「もう!零一さんのいじわる〜〜!!」 零一と呼ばれた男性は眼鏡のツルを一度上げると、眉間の皺を一層深くして大きなため息を一つ吐いたのだった。 ここはタワー3階を丸ごと借り切った全国の主要都市に店舗を持つ大型家具店。 その広大とも言える家具店のベッド売場に、二人は立っていた。 ベッドはもちろん、たんすからテーブルセットやソファ、室内の照明、カーテンなどのインテリアに至るまで幅広く取り揃えている。加えて日本製のみならず、アメリカやヨーロッパから輸入されたものも多数展示されている ベッド売り場と言ってもベッドだけではなく、付属するオプションも数多い。 ベビーベッドや介護用電動ベッドもあることから寝る時赤ん坊の上で回る玩具類、ベッドに取り付ける介護用の手すりなど様々だ。 ベッド売場の一角にディスプレイ用として作られた部屋があった。 「姫ルーム」と名づけられたそれは、全ての家具や調度品が白木で作られている。 白木のチェスト、白木のライティングボード、ベッドに至るまで白だ。カーテンは裾にフリルが付いた白のレースカーテンが窓に掛けられている。 白木のベッドはホテルで見られるような天蓋ベッドで、ベッドの四隅に突き出した4本の白い枠組みの上部から何枚か重なったレースの布地が垂れ下がり川のような流線を描いていた。 彼女は一目でこの天蓋ベッドが気に入ったのだった。 「とても可愛いです、零一さん!私、あれが欲しいです!」 嬉々として零一に告げたことから話は始まった。 見た途端、彼は眉根を寄せて柳眉を吊り上げ口をへの字に曲げた。 「却下だ。これは俺の寝室には絶対合わない。」 零一は知らず”絶対”に語気を強めた。 だが、恋人である彼女は諦めなかった。 「だって、零一さんキッチンはリフォームしてくれるって言いましたけど、リビングに置いてあるお尻が痛くなる硬いソファと色の調和を考えろって言って、私が決めようとしたカントリー風キッチンを却下したじゃないですか?」 「当たり前だろう?無機質と黒で統一しているリビングの隣が、パステルのステンシルや淡い木目調では合うわけがないだろう?白色一色ならモノトーンとして妥協するが・・・。」 「妥協ってひどい!!」 言葉じりを取って、彼女が泣きそうな声を上げた。 「そういう意味で言ったわけではない。白なら譲れると・・・。」 「零一さんが今言ったのが妥協って意味ですっ。」 「話を蒸し返さないでくれ。その件はもう済んでいるだろう?」 零一は頭を抱えた。 過日、キッチンのリフォームで彼らの意見が衝突した。 婚約者となり、来年には零一と結婚する恋人は、カントリー風の薄い木目をふんだんに使った白のキッチンを希望した。 しかし、隣にスチールと黒を基調としたリビングを作った零一は即座に反対した。 結局双方が衝突したまま頓挫したのだが、彼女があからさまに不満気な顔をしたのが気になって寝室は希望を叶えると零一は約束してしまったのだった。 本人は気付いてないが、彼は11歳年下の恋人にとても甘い。 恋人は自分の希望が叶えられると聞いて喜んで零一と一緒にショールームに見に来たが、彼女にとっては舌の根も乾かぬ内にとはこのことであった。 自分の天蓋ベッドが即却下されて、しかも以前に約束した話とかなり違ってきている。 女の子は恨めしそうに色素の薄い瞳で冬枯れの日の湖面のような澄んだ瞳を睨んだ。 その時見かねた店員が割って入った。 このベッドはシングルタイプしか製作されていない、と説明した時の彼らの表情が対照的になった。 「ええええ〜!そんなあ〜!?」 零一は密かに胸を撫で下ろしたが、店員が去り際に余計な一言を付け加えた。 「プリンセスタイプではございませんが、天蓋が付けられるベッドはあちらに揃えて置いてございます。」 聞いて飛び上がって喜んだのは女の子で、後ろで明らかに鉄面皮が崩れて驚いたのが零一だった。 一時間後、彼らの言い合いはベッド売場で静かに決着がついた。 つるべ落としに日が暮れて、すっかり夜の帳が落ちた頃零一は「カンタループ」で益田相手に珍しく愚痴を零していた。 彼はカウンターのスツールに腰をかけ、一人ドライマティーニを飲んでいた。 少しあおるように飲むのが気になった益田は、飲むペースを落とす為に零一に尋ねた。 「お疲れさん・・・零一。」 零一の眉間の皺はずっと深いまま、苦悩した表情で益田の後ろの棚を見つめて呟いた。 「天蓋ベッドとはそれほど女性が憧れるものなのか・・・?俺にはわからん・・・。」 がくりとカウンターに項垂れると、彼は大きくため息を吐いた。 「いや、俺にも皆目わかんないけどね・・・。」 客に対する愛想笑いではなく、益田は素直に零一に同情した。 「・・・・・で?結局、天蓋ベッドに決まったのか?」 「いや・・・。」 ゆっくりと零一が首を横に振った。 「・・・それが天蓋部分にほこりがよくたまると言われて、しかも掃除が彼女には手が届かない高い場所だということに気付いたらしく・・・俺がすることになるかと思ったが、それは大変だということで彼女が諦めてくれた。・・・その代わり・・・。」 呟いた途端、後ろから歓声が上がった。視線だけを振り返らせると、一番奥のテーブルだった。3つのテーブルをくっつけても足りないそのグループははばたきタワーの中にある会社で、どうやら一つの部署丸ごと来たらしく大いに盛り上がっていた。 今日零一が店に来た時には、すでにテーブル席は全部埋まって夜の盛り場らしく賑わっていた。 「その代わり?」 益田が話の先を促す。 「ああ・・・。その代わりキッチンがカントリー風になることになった・・・。 折角黒とシルバーで統一していたのに・・・。はあ〜・・・。」 「しかし彼女さん、あの零一をここまで悩ますとはやるねえ〜。」 益田が話を聞いて、楽しそうに呟いた。 「何か言ったか?益田?」 「いんや、何も。・・・で、”普通”のベッドはいつ来るんだ?」 「・・・・・・・・明日、大安の日曜日だ。」 この言葉に、益田は目を丸くしてバーテンダーという職業を忘れて大きな声を出してしまった。 零一を小学生から知る腐れ縁の幼馴染は、太陽が反対から昇っても非科学的なことは決して言わない性格をよく知っている。 確率として数学的に証明できるおみくじは興味の対象であったが、星占いは星の動きで人の運命を左右するなど、科学的根拠が全く無いと零一が思う最たるものだ。同じく日本古来の陰陽道から発生された大安日も同じだったはずだ。 「お前そんなこと科学的根拠はないって言ってバカにしてただろ?零一の口から大安なんて言葉が出るなんて、明日は嵐か?」 「違う!そうではない。確かに科学的根拠は無い・・・が、古くから使われているものは何らかの意味がある筈だと・・・その、・・・最近は思うようになった・・・だけだ・・・・。」 「ふうう〜〜ん?」 益田は口端の片方を吊り上げて、間延びした返事をした。 「何が言いたい?益田?」 「別にぃ?」 眼光鋭く、零一が射るように腐れ縁の幼馴染を見据えた。 しかし長年の付き合いで慣れた益田には全く通じない。あっさりと質問をかわした。 「長生きはするもんだな。お前が恋人にメロメロになったところを見られるんだからな。」 「益田、三十路になったばかりなのに、そういう言い方は寄せ。」 「わかってるよ。これでも客商売してんだからな。お前にしか言わねえって。 そう言えば、お前4つの血液型で性格がわかるかって怒ってたなあ〜・・・。」 「・・・あれは現在でも実証のない胡乱なものだ。」 「アハハハ。高校生の時も零一同じこと言ってたよな。」 そう言った益田は零一を映しこんだ茶色い瞳に何を思い出したか、懐かしそうに微笑んでいた。 翌日、キングサイズのベッドが零一と婚約者である彼女が住むマンションにやって来た。 店員に天蓋の掃除は大変ということを教えてもらい、イメージを損なわないようにと、ベッドは黒ではなくやや明るくダークブラウンの色に変わった。そしてカーテンも黒色の遮光カーテンから明るいライトグレーになった。 落ち着いた雰囲気のホテルの部屋のイメージと重なり、零一も模様替えされた部屋を見て満足していた。 真っ白なシーツに真っ白なベッドカバーをあつらえたベッドは、寝室の調度品やカーテンなどのインテリアにもよく合っていた。 二人がお互いの為に譲り合った結果は想像した以上の効果があった。 満足気な彼女の横顔を見つめて、零一は考えを改めさせられたのだった。 やがて二人の業者がベッドの設置、組み立てを済ませて帰ると、零一はベッドを嬉しそうに眺めている彼女に向かって言った。 「コホン!・・・俺は君と結婚するまで妥協を何度も繰り返した、と思っていた。 だが、二人がお互いを思って譲り合うことは妥協ではなく、・・・その、・・・思い遣りなのだということに気付いた。 気付かせてくれたのは君のおかげだ。・・・・ありがとう・・・。」 滅多に自分の心からの言葉を口に出来ない不器用な零一がお礼を言ったことが驚きで、彼女はしばらく零一を見上げていた。 前髪を下ろした額に手を当てる。 「アンドロイドでも熱が出るのかと思いましたけど、無いですね。」と余計な一言を付け加えた。 「俺が真面目に言ってるのに、返事がそれか?」 ジロリと睨み、教師然の顔つきに戻った。 「違います。そんな素直な零一さんが大好きなだけです。」 恋人は幸せそうな笑みを浮かべたまま、零一の胸に甘えた。 背中に手を回すと、応えるように彼の大きな手が恋人の背中に回された。 相変わらず甘い雰囲気に慣れない不器用な零一であった。 「その・・・、二人の寝心地を試してみようと思うんだが・・・・・・、いいだろうか・・・?」 「?・・・・はい、もちろん。」 彼女は見上げて微笑んだ。 「そうか、ありがとう。」 途端、零一はすぐ傍にあるベッドに恋人を押し倒した。 スプリングが一度小さく跳ねたぐらいで、二人分の体重を難なく吸収した。 流石一流ホテルで使用されているマットレスだ。 「えっ?えっ・・・?」 驚いたのは彼女だった。 零一が自らシャツを脱ぎ肌を露にしたところでやっと先程言われた言葉を理解した。 困ったように笑ったが、それがすぐに心からの幸せな笑みに変わった。 「零一さん・・・大好きです・・・。」 彼女は心と身体が甘く溶けてしまう前に、愛の言葉を囁いて零一に手を伸ばした。 |
<2014/11/4> 絶対妥協しない男・氷室零一www 先生の誕生日にあるまじき変なSSですみません! こういうネタ大好きなのでもっと零一さんは主人公ちゃんに振り回されるが良い! 天蓋ベッドが欲しいと揉めてゲットする話にしようとしたんですが、後輩から掃除大変そうや!ということで、私もそれ気になっていたんでやっぱりな、と思いオチは変えました。 天蓋ベッドだったら毎週日曜日零一さん掃除がんばろうやろうなあ・・・ それ考えると笑い止まれへんようになりますなあ・・・www |