今日は11月6日、氷室零一の43回目の誕生日であった。
零一が職場から帰ると、妻が腕をふるい豪華な食事とケーキがテーブルに並べられていた。
「お帰りなさい。零一さん。お誕生日おめでとうございます!」
妻がはちきれんばかりの笑顔で言うと、零一の頬は初冬の寒さのせいか少し赤く色づいていた。
「ありがとう。・・これは美味しそうだ。」
何て幸せな一日の締めくくりだと、零一は口元を綻ばせた。


「誕生日の夜」


「あ、あの、零一さん・・・?」
その食事も楽しく終わり、少しの休憩の後風呂場へ向かう零一の背中に、妻はやや困惑気味に声をかけた。
普段の彼女の物言いは見当違いな答えでもはっきりとしているのに、それが零一には珍しく、気になって素直に足を止めさせた。
顔だけで振り返る。
「ああ、何だ?」
枯れた木立が何本を突き刺さっている冬の湖のような色の澄んだ瞳が、じっと彼女を見つめた。
『・・・・あっ。』
それは零一にとっては気を遣った声音だったが、妻には教師然の態度に見えたらしく言い淀んでしまった。


はばたき市にある名門私立はばたき学園の冷徹な教師。
そう噂される氷室零一は、高等部で数学を教えている。
芸術家や作家、モデルなど有名人を多く輩出している学園の中で、別の意味で名が通っている一人だった。
落ちこぼれにも優等生にも容赦なく宿題や課題を山ほど出す、市内で一番厳しいと学生達の間に知れ渡っているからだ。
「え、えっと・・・、そのう、申し訳ないんですが・・・。」
何故か敬語で、しかも会社員が電話をかけた冒頭の会話みたく聞こえるので、零一は僅かに眉を寄せた。
「だから、何だ?物事ははっきりと簡潔に言いなさい。」
相手の敬語に釣られたわけではない。
それは零一が出来の悪い生徒に使う時の教師のくせだった。
「は、はい!すみません!」
11歳年下の妻は、瞬時に姿勢を正した。
彼女は零一の担当クラスの教え子で、はばたき学園の卒業生であった。
高校2年生の2学期の後期試験の時、初めて天才と呼ばれる守村や葉月を抜かして1位となった彼女は、それから卒業するまで氷室学級のエースであり続けた努力家だ。
3年間担任であった彼の厳しさは身をもって知っている。
零一と一流大学を卒業してすぐ結婚し子供もいるのに、彼の少し尖った口調だけで、厳しかった学生時代に彼女をすぐに戻らせてしまった。
妻と初めて出会った高校一年生から、彼女の年齢の2倍の年月が流れているのにも関わらず。
零一は「あっ」と声を小さく出して、心の中で呟いた。
『これは失敗したな・・・。』
結婚して12年。
自分の性格を面倒くさいとやっと自覚した零一は、反省して性格も妻に対して丸くなったつもりだ。
結婚は妥協の繰り返しで、接点を見つけ出し夫婦の折り合いを付ける。
合理的だし、議論を重ねた結果だという自信も出来る。

そう思っていた。結婚するまでは―。

高校生の時から彼女には驚かされてばかりだったが、妻となってもあまり変わることはなかった。
しかし、いくら好きあった者同士でも、他人と過ごすということをきちんと理解出来なかった零一は、そんな自惚れが又も木っ端微塵に吹き飛んだ。
結論だけ先に言えば、素直な性格の彼女に対して、零一は自分がとても面倒くさい人間ということだけは気付いたのだった。
惚れた弱みもあるが、基本零一は付き合っていた頃から彼女に甘いし優しい。
見た目と物言いから周囲によく誤解されるが、根底にあるものは優しさなので、他人にも自分と同じように努力を促すし指導する。
だが、それは自分基準だということを思い知ったのだ。
一人一人自分とは異なる性格に異なる環境で生きてきたから考え方が違う。
そのことに改めて反省した零一は、生徒一人に対しての指導方法がより一層細分化されたのは副産物である。
実は妻が零一の固定概念を次々と壊した結果だった。

零一は良き夫として気遣いも出来るようにはなったのだが、時折教師のクセが出てきてしまうことがある。
こればかりは職業病としか言いようがないのだが、こちらの聞き方が悪いのはわかっていた。
「あ―・・・、すまない。早く済ませたいとかそういうことではないんだ。
君が言いにくそうだったので、我が家で大変な問題が起きたかと思って心配して急かしてしまった。
今のは俺の言い方が悪い。」
零一は素直に謝った。
これは妥協ではない。
妻のように素直なことが、相手への思いやりが、子供の手本になると親になった時気付いたからだ。
「あ、あの、じゃあ思い切って言いますね!」
彼女ははにかみながら、ぐっと両掌(りょうてのひら)を握り締めた。
母になっても、まだどこか可愛らしいと感じる仕草に、零一は微笑んで先を促した。
「零一さん!すいませんがしゃがんでくれませんか!?」
「ああ・・・・。・・・・・はあ?」
43歳にしてまだ相手に驚かされる日が来ようとは考えもしなかった零一は、呆気に取られたまま返事をした。
「・・・わかった。・・・・・・・屈めばいいんだな?」
零一は少し呆れながらも念を押すように見つめると、妻は当たりだと言わんばかりに何度も首を縦に振った。
風呂場の手前、突き当たりの奥には夫婦の寝室がある狭い廊下で、一体俺は何をしているんだ、と呆れながらもゆっくりと膝を曲げ腰を落として彼は片膝をついた。
「これでいいか・・・・?」
俯いて妻の前に跪(ひざまず)く零一の姿は、おとぎ話の絵本に登場する、さながら王子とお姫様のようであった。
「はい!零一さん、ありがとうございます!
では・・・失礼します・・・。」
妻は零一の髪を両手で優しく撫で始めた。
『???・・・・一体何をしたいんだ?君は・・・。』
だが、撫でられるのが心地良いと思った零一は、彼女が喜んでいるならいいかと納得しかけた時だった。
突然妻が大きな声を張り上げた。
「あーーーー!やっぱりぃーーー!零一さん白髪ありますよ!
零一さん出ないと思ってたんですが、さっきソファで新聞読んでる時に見つけてからずっと気になっていたんです。
やっぱり40過ぎると出てきちゃうもんでしょうか?」
喜んでるのか、驚いているのか、彼女は零一の頭上で騒ぎ立てる。
「・・・・・・念のために尋ねるが、君は俺の白髪を確認したくて、俺を”わざわざ”屈ませたのか?」
彼は”わざわざ”にアクセントを強めた。
「はい!そうです!零一さんの頭見たい!って言いたかったんですが・・・、なかなか言い出せなくて・・・。
あーーやっと言えたーーー!」
下を向いている零一には見えないが、妻は満面の笑みで答えているに違いない。

そんな妻を想像してうなだれる零一だったが、すぐに何かを考え始めた。

自分の心配は杞憂に終わって良かったのだが、どうにも釈然としない終わり方だったので、小さな悔しさが残った彼は今度はこちらが驚かせてやろうと悪戯心が芽生えたのだ。
「あー・・・コホンッ!俺ももう43歳だ。当たり前だが老化現象は必ず来る。
別に驚くことではないと思うが・・・。」
「そうなんですけど、20代の先生だった頃から知ってますから。私達随分長い時間を一緒にいたんですね。
あの時は怖くて本当に厳しい先生で、こんな風に先生のつむじ見られるとは考えてもいなかったんで・・・。
ふふふ・・・、私随分貴重な体験をしてますね。」
彼女は遠い昔を懐かしむように零一の髪を右手で梳いた。
「それに、零一さんアンドロイドじゃなかったんですね。良かったあ。」
嬉しそうにはしゃぐ彼女に、零一は言い返した。
「はあ・・・・何を真剣な顔で相談されると思ったら・・・白髪か・・・。
そんなもの、いつも寝室では見てるだろう?」
「え・・・?」
「君が縋ってくる時、いつも俺の髪の毛を触るんだから。」
そう言いながら、触っている妻の右手を優しく取って、手の甲に口付けた。
我ながらひどくロマンチストになったものだと、自身に呆れながらも止めようとは思わなかった。
「・・・・・・・・っっ!!」
言葉に詰まった彼女は右手を引っ込めようとしたが、間髪入れず零一は力を入れて離さないようにした。
彼は右手から目線を辿るように、やっと妻の顔を仰ぎ見た。
これも想像していた通りに、熟れた林檎のように真っ赤になっている。
「今日子供は林間学校に行っていて、俺達二人きりだ。」
「えっ・・・?」
「久しぶりに一緒に風呂に入ろう。」
「・・・・・・・・・・はい。」
言葉に詰まった後の返事も、妻の少し拗ねて怒った顔も12年変わらない。
零一は彼女の手を黙って握り締め、浴室へと向かった。
氷室零一の43回目の夜が始まった。



FIN


<あとがき>
二年ぶりにこんにちは〜。
珍しく誕生日SS間に合いました(笑)
ここに来られる方もおらんのではないでしょうか、と閉鎖寸前のサイトになってしまいましたが・・・(汗)
絵チャで先生に「なでなで」してもらいたいとあったので、私はどちらかと言えば
あのつむじを見たことないよな、あの身長差では・・・と考えたところから書き始めました
最後は蛇足ですね、完全に(笑)
私の先生のイメージにこんなキャラはおらんよねwwww
これって葉月くんか壬くんかなあと思いながら、気に入らなければ消そうと思っとります
それまでどうかご勘弁を・・・
忙しいのと、仕事も家もストレスがあると書けなくなるんですよねえ・・。

<2018/11/6>








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