「待ち合わせ」


零一はふと足先に暖かさを感じて寝室の床を見下ろした。
柔らかい冬の陽射しが、レースを引いたカーテンから透き通ってフローリングの床に陽だまりを作る。
太陽は低い角度ながらも昇ってきて、厳しい寒さの中でほっとするような温かさをもたらしてくれていた。
自分の寝室で鏡を見ながらネクタイを巻いていくかいかないかで悩んだ結果、普段教師として着るいかにも会社員というシャツとネクタイを選ばず、シルバーグレイの無地のシャツに、濃いグレーに細い白のピンストライプが斜めに入る柄のネクタイを合わせることにした。最低気温が0度に近い2月に冬のスーツだけでは寒いので、その上から白っぽく明るめのアッシュグレイの色のラム皮のコートを羽織り、下は同じ黒のスラックスでまとめた。気に入っている黒色のマフラーと皮手袋を手に持ち、零一は最後に鏡の前でおかしなところはないか調べた。
流行のファッションに疎(うと)い彼でもこの服装に問題はなかった。
「もうこんな時間か・・・。今日は休日だから、駅へ続く主要な幹線道路はかなりの渋滞が起きる筈だ。
そろそろ出発しなけらば約束の時間に間に合わなくなってしまう。」
氷室零一は右手首に巻いたシルバーの腕時計に目を遣り、時間を確認した。





学生時代から愛用しているそれは、文字盤が長針と短針しかないシンプルでやや時代遅れを感じる型だが、彼は気に入っていて大事に使っている。
長針は12時に差し掛かり、短針は11時を指していた。つまり丁度午前11時になるところだ。
「新はばたき駅前のロータリーは、確か一方通行だったな・・・。だが、あそこは駐車禁止指定区域だから、駅地下のパーキングに入れるしかあるまい。・・・念のため、今日は寒いから彼女に暖かい所で待っているようにメールを送っておこう。」
零一は長い指で素早くメールを打つと、足早に部屋を出て行った。


今日は2日早いヴァレンタインデーを恋人と過ごす予定だ。
建国記念日の2月11日が丁度土曜日で世間では連休となり、私立はばたき学園も土曜日の授業は休みになった。生徒達は本来は通学する日が休みなので喜んでいたが、零一は勉強に勤(いそ)しめと言わんばかりに数学の宿題を出したせいで、生徒達はあからさまに不服な顔に変わった。
ヴァレンタインデーは火曜日となるので、祝日か日曜日に会いたいと初詣に一緒に行った時から恋人から強引に約束させられた。
彼女がはばたき学園高等部を卒業し、零一の教え子でなくなった時から付き合い出したので、今年初めて恋人同士で過ごすヴァレンタインデーとなる。目を輝かし心待ちにしている恋人とは違い、零一は彼女の態度に呆れて冷静に言葉を返した。
「ヴァレンタインデーなど菓子業界が勝手に作ったイベントだ。そんなものにわざわざ貢献してどうする?大人としてもう少し節度ある行動をしなさい。」
しかし恋人はカップルの最大のイベント、クリスマスに次ぐヴァレンタインデーを一緒に過ごせる嬉しさで、零一の嫌味ですら微笑みながらかわしていた。


運転席に座った途端、彼女からのメールの返信があった。
メールを開けて確認だけすると、零一はキーを回しエンジンをかけようとして、差込口がいつもの場所にないことに気付く。見慣れた車高から見える景色は、今日はかなり高い位置に目線があった。やはり慣れてないと少し違和感を感じる。
零一は天気予報で雪が積もると言われていたので、自分のイタリア製の愛車に乗らず、幼馴染から借りた四輪駆動車に乗っていた。もちろん雪が降った時の為に、スタッドレスタイヤに付け替え済みだ。
マンション地下の駐車場から車が外へゆっくりと走り出すと、フロントガラスに白い綿が付いたがすぐに溶けて水になった。よく見ると粉雪が空を覆うように風に舞っていた。
「寒いと思ったら・・・、もう雪が降ってきたのか・・・。
やはり中で待っているよう言っておいたのは正解だったな。」
自分の教え子だった時代、社会見学では時間厳守だったせいで、彼女は今でも待ち合わせ10分前に来るくせがついてしまっていた。厳格な性格の零一にとって時間前行動は人として常識的なことだと信じていたが、恋人に対してだけはこんな寒い時期に風邪をひかないか心配でたまらなくなる。教師として、自分の教え子として3年間接してきた彼には、教師としての氷室先生と、恋人としての零一の間で心が大きく揺らいでしまう時が何度もやってきた。恋人になったのだからと自分に言い聞かせるのだが、11歳年上として尊敬されるべき大人でい続けなければならないと信じ、恋に溺れそうになる衝動を理性が邪魔してしまうのだった。

『今の時間帯なら渋滞はまだ少ない。待ち合わせの時刻の10分前に間に合うだろう。』
零一は安堵の息を小さく吐いた。
しかし彼の行く手を阻むように、粉雪が水を含んだぼた雪に変わりフロントガラスに張り付いていく。
上空に視線だけ遣ると、いつの間にか鈍(にぶ)色の雲に一面が覆われていた。
今朝の天気予報を思い出した零一は、ステアリングを握る手に一度力を込めてから、慎重かつなるべく急いで車を走らせる。
幹線道路は渋滞もなくスムーズに臨海地区に入った。途端にビル風が強くなり、運転している車の中からはまるで吹雪の中を走っているように見えた。
彼が向かう先に、雪に煙(けむ)る一際背の高いビルが見えた。
臨海地区にそびえ建つ「はばたきタワー」である。
「これなら10分前に余裕で着く。」
零一は恋人の身を案じて、自分が法定速度を超えて走っていたことに今更ながら気付いた。
どんな時でも法定速度を守って車を走らす彼だが、そんなことはとうに頭から追い出していた。
理由は至極単純だ。
『彼女を、例え屋内でも寒い中で待たすわけにはいかない。』という恋人への労わりだった。
風邪をひかせてしまうと恋人の両親に申し訳が立たないという気持ちからではなく、彼女自身が大切だから心配という理由に他ならない。

吹雪で煙って見えにくくなったはばたきタワーの前に、うっすらと白い雪が積もり始めた新はばたき駅が現われた。その手前に地下駐車場入り口を示す看板も見えてきた。
「よし、20分前に着いた。」
零一の安堵の口調の中に、微(かす)かに浮かれている感情が見え隠れする。
これから始まる恋人と過ごす初めてのヴァレンタインデーを彼もまた嬉しく思っていた。だが、まだ認められない気持ちが心の底に残っている。一度認めれば、恋に彼女に溺れ、自分が理想としていた教師像が崩れてしまいそうで怖かった。恋人同士になったのだから、教師や大人の顔はいらないのに本人はそのことに気づいていない。恋に晩熟(おくて)で生真面目な零一らしい考え方であった。
「・・・ひどい雪だが、こんな日にはばたきタワーでの昼食も悪くない・・・。
最上階のレストランから見る景色は真っ白に染まって彼女も驚くだろう。
きっと、二人とも忘れられないヴァレンタインデーになる。」
冷徹なアンドロイドの仮面が彼女の前ではどんどん剥がされていくことを、戸惑いながら零一は心地よく感じていた。



FIN



<あとがき>
「蟻地獄」の管理人様であり、絵師様のむち子さんがヴァレンタインのために描かれた氷室先生を見て、勝手に妄想してヴァレンタイン用にと作ったSSです。線画しか見てないんでこちらが勝手に色を付けたのですが、SSを読んでくださったむち子さんがわざわざ色を変えてくださいました!!お忙しいのに申し訳ないです!でもめちゃくちゃ嬉しいです!デートへ向かうかっこ可愛い氷室先生を
ありがたくアップさせていただきました!いいね!絵があると本当に華やかだよね!煌びやかだよね!潤うよね!むち子さん!本当にありがとうございます!駄文を添えてしまったこちらが申し訳ないぐらい!orz
ところがこの話、起承転結の”起”しか書いてません(笑)なぜなら食事するシーン書いても面白くないからです!ええ!決して面倒くさいとか思ったとか言わない!!www
この二人には門限があるんで、夕食はできないということでランチデートです。この後はいつものようにマンションへ行ってチョコ食べてちょい甘く過ごすか、下手をすると雪が積もるということでランチ食べたらさっさと送ってしまいそうな堅物です!!先生!もうちょっとがんばって!
まだ先生が理性を保っている時期をイメージして書いてみました。この後、浮かれた男子生徒がいないか心配になったり、ゼミやクラブで男の子と一緒に行動したりして嫉妬しまくって恋に溺れていってほしいもんです!そして主人公ちゃんを襲ってほしいもんです!www
<2014/2/18>
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