「クリスマスプレゼント」


ドアベルが鳴った途端、商店街のスピーカーから聞こえるジングルベルの賑やかな音楽が店内に入って来た。
二つの音に反応して、益田は床を磨いていたモップの手を止めて顔を上げる。
「あ、申し訳ありません。まだ・・・。」
益田は振り向きざま言いかけて、来店した客の顔を見て止めた。
腐れ縁の幼馴染である零一と同じ、冬の澄んだ湖のような色の髪と瞳を持つ女の子が入り口の扉の前で立っていた。
父譲りの高い身長は益田と殆ど変わらないのに、どうしてか目線が交じらないままだった。彼女の顔が俯いていたからである。
「どうした?今日は。・・・なんかあったか?」
腐れ縁の幼馴染に対する態度とは全く違う、接客態度でもない、労わりが感じられる穏やかな口調に変わる。
この言葉に店に入ることを許されたとわかった女の子は、はにかんだ顔を俯かせたままゆっくりと彼の元へ近づいてくる。
12月の外から温かい店内に入ったせいで、やや青みがかった陶器のような肌がほんのりと色づいたことに益田は気付いた。
しかし、はばたき学園の中等部で「氷室JR」と皮肉交じりに評される彼女がこんな表情を自分だけに見せることにはまだ気付いていない。
「あの・・・忙しい時間にお邪魔してごめんなさい・・・。今日期末試験終わって、ピアノのお稽古に行く途中なんです・・・。」
思い出したように、益田が頷く。
「ああ・・・、ピアノまだ習ってるんだったけな・・・。
・・・まあ、俺の店は零一に言わせれば学生が入る店じゃないって怒るから仕方ないけど。」
苦笑いを浮かべながらも、益田は丸いスツールに腰掛けるように手招きした。
「ごめんなさい。義人兄さん。」
彼女は物心ついた時から、益田のことをこう呼ぶ。
一度、父親の零一と同い年なのにこの呼び方は失礼だと思い直し「義人おじさま」と言ったが、あからさまに嫌な顔をされて彼女は返答に困ったことがある。
『幼い君にそう言われると、一気に老けた気がする』というのが、理由だった。
それ以来、女の子は呼び名を変えたことはない。
性格も生き方も正反対な零一の親友である益田義人を、女の子はとても気に入っていた。
彼女の頬がほんのり赤いのは、店内に入っている暖房のせいだけではなかった。
「失礼します・・・。」
遠慮がちに濃いブラウンの木目の床から生えたようなスツールに腰をかける。
「で?こんな時間に零一の大事なお嬢さんはどうしたんだ?受験シーズンだろ?ピアノより塾へ行かなくていいのか?」
益田は女の子の気持ちを知ってか知らずか、普段と変わりなく歯に衣着せぬ物言いをする。
目尻に刻まれた小さなしわや、手の甲に浮き出た血管が、益田が女の子の倍以上年を重ねてきたことを教えていた。ただジャズバーという夜の仕事柄、同年代の男性より外見が若く見える。
手を消毒液でよく洗うと、彼はそのままガスコンロの前に立った。冷蔵庫からレモンを取り出し輪切りにして、水を入れた鍋に一緒に火にかけて水分を煮詰める。煮詰めたら蜂蜜を垂らし、手際よくホットレモネードを作った。店に入った時冬の寒さのせいか女の子の顔が青ざめていたので、身体を温めた方がいいと彼は思ったのだ。暖房も彼女が気付かない間にリモコンで上げた。エアコンの吹き出し口から彼女に向かって、勢いよく温かい風が下りてきた。
益田は湯気が立った鍋から冷めにくい厚いマグカップにレモネードを注ぐと、何も言わずに彼女の前に差し出した。
「ありがとう。いただきます・・・。」
彼女は一度益田の顔を見上げてから、カップに口をつけた。甘い蜂蜜と爽やかなレモンが身体に染み入るように入って来た。彼の優しさと共に。
「美味しい・・・・。」
冬の寒さから身体が解き放たれたのか、彼女は安堵の息を吐きながら呟いた。
「何かあったのか・・・?」
心が落ち着いたのを見てから、益田は彼女に話を切り出させるように促した。
扉の前に立っていた時、冬の澄んだ湖面のような澄んだ色をした女の子の瞳が、僅(わず)かに揺らいでいたのに彼は見抜いていた。
「あの、明日はばたき学園の高等部への内部入試を受けようと思っているんですが不安で・・・、義人兄さんに相談したくてここに来たんです。」
零一と同じ何事にも動じない冷静な性格の彼女からすれば考えられない言葉が返ってきた。益田は少し驚いた声で尋ねた。
「何を心配するんだ?君は零一と一緒で中等部の成績トップでしょ?入試なんて楽勝だと俺は思うけどな。」
薄い輪切りのレモンが浮かんでいるマグカップを見つめながら、冷静な彼女にしては珍しく不安気な声で打ち明ける。
「あの・・・父がいる職場に娘の私が教え子でいていいのか・・・、迷惑にならないか・・・、それがどうしても気になってしまって・・・。」
氷室零一の元教え子であった母から一度聞かされたことがあった。母も成績が一番だった時「氷室先生から可愛がられているから試験結果に手を加えた」という陰口を叩かれた。しかし勉強に、こと試験に関して手を抜かない零一の性格を考えると、理事長以下生徒に至るまで、そんなことは有り得ないと噂はすぐに消えてしまったが、娘の自分が行ってもしそんな噂が広まってしまったら、父親に迷惑がかかるのではないかと悩んでいたのだ。
益田は彼女の不安を汲み取り、安心させるように言った。
「むしろ可愛い娘が自分の勤める学校にいるなら、めちゃくちゃあいつ喜ぶでしょ?高等部に進学した方が親孝行だと俺は思うけどなあ・・・。」
女の子の目の前に立つ益田は腕を組みながら、まるで我がことのように嬉しそうに笑む。
「母と同じこと言うんですね。父親ってそんなものでしょうか・・・?」
「当たり前だろう?あいつ(零一)にしてみれば愛娘が目に届く範囲にいるということは安心できるし、君の学校生活の全てを把握できる。父親の目が届かない場所で娘が何をしているか・・・なんて考えたら心配でたまらないからな。俺が父親であったら君が高等部に入りゃ、家でも学校でも傍にいられると思って喜ぶぜ?何より余計な虫がつかないように見張れるしな。」
それを聞いた彼女は首を左右に振り、大慌てで訂正する。
「義人兄さんは買い被りすぎです。私一度も告白されたことなんてないんですから。」
『そりゃそうだろう・・・。』
益田は少し困ったように首を傾げて微笑んだ。
彼女は零一にそっくりで端整な顔をした美人だった。しかも細身の長身だ。もてないわけがない。だが、彼女は父親と困ったところまで似ていて人と話す時に笑わないのだ。煩悩の塊のような生半可な中学生男子が告白してくる勇気はないだろうと、推察できる。
「俺にはすっごく可愛い笑顔を向けてくれるのになあ・・・。」
カウンターに身を乗り出して頬杖ついている益田は、ジャズバーのマスターらしく男の色気を醸し出すように彼女の目の前で冗談ともつかない顔でニヤリと口端を上げて笑みを形作った。
「・・・・・・っ!!」
益田にそう言われた彼女は瞬時に耳まで真っ赤に染まり、言葉に詰まってしまった。
絶対に表情を崩さない性格なのに、益田の前ではそれがどうしても出来なかった。
理由は本人が一番よくわかっている。父親の幼馴染が彼女にとっては「初恋の人」だからだ。
「義人兄さん、そういう冗談は大人の女性にしてください。」
恥ずかしさを誤魔化そうとして、彼女は父親の零一を彷彿とさせる凍える瞳でそう言った。
「はいはい。」
彼女のクラスメイト達なら恐縮して何も言えなくなるところを、零一と小学生からの付き合いである益田は、厳しい視線も笑いながら平気で受け止めた。彼に言わせれば、零一対策は30年以上の付き合いがある腐れ縁なので、凄(すご)んでも自分には全く通用しないということだった。女の子はそれを聞いて、小さく笑った。



女の子がふと左腕に巻いた時計に目を落とした。
時計の短針は3時を指し示している。
「あ、そろそろ私ピアノのお稽古に行かないと・・・。
義人兄さん、悩みを聴いてくれてありがとうございました。」
彼女は名残惜しそうにゆっくりと立ち上がりお辞儀をした後、父親譲りの長い指で紙袋から何かを取り出した。
「それから、これ・・・。良かったら使ってください。」
恥ずかしさと緊張を感じながら、女の子は目の前にいる男性に丁寧に包装されている箱をおずおずと手渡した。毎年彼女から贈られるクリスマスプレゼントが、今年だけあわてんぼうのサンタクロースよりもかなり早く益田の手元に渡った。
深さのある長方形の箱は、光沢のある薄いブルーの紙に包まれマリンブルーのリボンが掛けられている。
「なに?」
「義人兄さんに・・・かなり早いクリスマスプレゼントです・・・。ごめんなさい。本当はクリスマス当日に渡したかったんですけど・・・」
恥ずかしくて言い淀む女の子の白い頬にさあっと朱が注(さ)し始める。
「へえ〜ありがとな。開けていいか?」
気が早い益田は彼女の返事を待たずに、すでにリボンを解き始めていた。
「はい。気に入っていただけるかどうかわかりませんが・・・。」
安心したこともあり、口元を綻(ほころ)ばせた彼女の目の前で箱が開けられる。
中から現われたのは、紫と黒とグレーのストライプ柄のマフラーだった。
「いつもと同じように、クリスマス当日に渡そうと思ったんですが・・・今晩から寒波が来て氷点下になるかもしれないってTVで言ってたから・・・。」
やっと、女の子はプレゼントする時期が早まった理由を言えた
「ありがとう。じゃあ、早速今夜家に帰る時に使わせてもらうよ。」
益田は彼女の気遣いと優しさに応えて、首に巻いて見せた。
もうすぐ50歳になろうという彼に落ち着いた色のそれはよく似合っていた。
安心するように微笑む彼女に、益田はまるで子供にするように頭を軽く撫でた。
父親である零一のピアノを弾いていた手と違い、空手有段者のそれは掌も厚いし、指も太くごつごつしい。幼い頃から撫でられているのに、彼の手の温もりを感じた途端、女の子は逆上せたように頬を染めた。そして俯いて気付かれないように口元を綻(ほころ)ばした。
益田はそんな彼女の態度を見て思った。
『この子も零一と同じ不器用な性格だ・・・』と。


一度扉の前で振り返ると女の子は何事もなかったかのように、真面目な顔で「ごちそうさまでした」と言って会釈し店を出て行った。彼も応えて手を軽く振る。
ドアベルが鳴った後、再び静寂が訪れた店内で、益田は首に巻いたマフラーを見て心を込めて呟いた。
「いつか、不器用な君の前に素敵な彼氏が現われることを祈るよ・・・。」
誰にも聞かれない願いは、すぐに空気に溶けて消えていった。



FIN


<あとがき>
氷室先生の勝手に作った娘さん、アイスドールちゃんの話でございます(*^▽^*)
クリスマスプレゼントネタで一本は簡単に作れたんですが、見事パソコンのディスプレイが壊れ、新しいものを買うのが今日になりやっとアップできました!このアイスドールちゃんシリーズ、誰が読むんだ?と思いますが、まあ作ってしまったんで勿体ないのでしっかりアップしますよ!
<2014/1/11>

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