「挨拶」


「・・・・ハァ?」
二人の口から告げられた言葉は彼の思考を十分に混乱させるものであった。
日頃から薄い唇をキッと真一文字に結んだ口をだらしなくぽかんと開けたまま、氷室零一は間の抜けた声しか出せなかった。
冗談でからかっているのだという中に、親としては聞き間違いであってほしいという祈りが混じった複雑な感情が脳内で行き交った結果、はばたき学園一厳格で真面目な教師と称される氷室零一は、思い余って思考停止に陥った。
零一の妻に言わせれば、ただ固いだけのソファに座ったまま、開いた口が塞がらないまま継ぐ言葉が出てこない。
隣に座っている妻は初めは夫と同じように色素の薄い髪と同じ色の瞳を大きく開けて驚いたが、すぐに「おめでとう。」と笑顔で祝福した。
「い、いや、少し落ち着きなさい。」
「零一さんの方が落ち着いて、ね。」
呆気に取られた顔のままうろたえている彼を、幼子を落ち着かせるように妻は優しく言った。
ちらりと対面の二人掛けのソファに座っている二人を色素の薄い瞳だけ動かして気遣う。
零一と彼の妻の前には珍しくサラリーマンのような地味な黒のスーツを着た益田義人と、零一そっくりの涼やかな瞳の娘が並んで座っていた。そして娘は益田の空手特有のごつごつした大きな手の甲の上に自分の手を愛しそうに重ねている。
「落ち着いていられるかっ!?」
しかしすぐに限界が来た。あっさり零一の思考が許容範囲を超えたのだ。
「自分の娘が・・・よりによって俺の!!同級生の益田と結婚すると聞いてどこの親が落ち着いて祝福できるんだっ!?
君はよく平気でいられるなっ!!」
「えー、だってえ、零一さんと私だって年の差11歳ですよ?
それに零一さんの教え子だったし。
益田さんの人となりは私もよく知ってますから安心です。」
穏やかな笑みで妻は娘と益田に向かって相槌を誘った。
「そ、それは・・・確かにそうだが・・・。
だがっ!!益田とこの子は親子の年齢差があるっ!!
年が離れすぎている!!」
零一が絶対許さないと言った理由はその一点に尽きる。
18歳の娘と自分の同級生の益田とは、正しく親子の年の差であった。
天命を知る年に入った男と、18歳の美しい花を咲かせようとする愛娘を嫁にやる父などこの世にいようはずもない。
相手は、小学生から腐れ縁とお互い言い合うほど付き合いが長い益田だ。
良くも悪くも益田の人となりを知りすぎているのだ。
何より脳内物質のいたずらのせいで、まだ大人になり切れず10代特有の夢見がちで浅はかなな思考のまま人生の重大な決心をするなど以ての外だった。
30歳以上の年の差がある二人の恋愛は、価値観の相違などからいとも容易く軋んで破綻が来るのは目に見えている。
年齢が離れすぎていると恋愛など到底無理だと決め付けていた。
「よく聞きなさい。
君ははばたき学園で成績は常に1位で、一流大学の推薦も決まった。
君はまだ若い。若すぎる。
これからは希望溢れる可能性と未来が目の前に広がっているのに、脳内物質のいたずらで全て棒にふるのか!?」
涼やかな瞳が強い意思を持って言い返した。
娘が親に反抗するのは、氷室家では事件だった。
親の決めたことはきちんと守る今時珍しい女の子であり、それ以外のことは全て自分が考えて行動し、零一も賛同する選択をしていたからだ。
そんな娘が親に対して逆らったのだから、特に父親である零一の動揺は内心激しいものだった。
「結婚しても大学には行けます。
義人兄さんとも相談したのですが、私は一流大学に行って自分のやりたいことを勉強するつもりです。
もちろん結婚するんだから、お父さんに頼らず私は奨学金制度を利用します。だから安心してください。」
「学費なんか心配してるんじゃない!!」
「それに日本の法律では女性は16歳で結婚できます。」
「日本の法律と俺の家の決まりとは違う!!」
それまで親子喧嘩を黙って見ていた益田が、傍から口を挟んだ。
「ちったあ落ち着けよ、零一。」
腐れ縁に対しての相変わらずくだけた喋り方だが、今の零一にとって猛火にガソリンを放り込んだのは間違いなかった。
「原因のお前が言うなあーーっ!!」
零一が遂に怒鳴った。



いつも冷静沈着ではばたき学園一厳格な教師と噂されるあの氷室零一が。
出来の悪い生徒の前でもこんな形相で怒ったことはない、と零一以外の三人が彼の顔を見て思った。
「お父さんに反対されても、私は義人兄さんと結婚します!」
いつの間にか、益田と手をしっかりと握り合った娘の冬枯れの湖面のような澄んだ瞳に炎が灯った。
自分と同じ顔で、同じ頑なな性格だと零一は知っている。
「駄目だ。俺は絶対に許さん!」
「「お父さん!」」
母はたしなめるように、娘は説得するように呼んだが、怒りで身体が震え出した零一は話の途中で席を立った。
そして扉を力任せに、リビング中に響くような大きな音を立てて閉めた後、廊下の奥へと消えてしまった。
真面目な彼が最後まで話を聞かなかったのは人生で初めてだった。





「・れ・・ちさん・・・零一さん?」
頭上から誰かが自分を呼ぶ声がしたと思ったら、零一は身体を揺り動かされ重たい瞼をうっすらと開けた。
途端、天井からの眩しいシーリングライトが目に入り、眩しくて眉間の皺が一層深く刻まれる。
半分閉じかけた瞼の隙間から、心配そうに覗き込んだ妻の影になった顔が見えた。
彼女の顔の輪郭がぼんやりとしているのは、自分が眼鏡をかけていないのだとぼんやりとした頭で気付いた。
「大丈夫ですか?何だか、うなされていたようでしたけど・・・?」
妻が零一の顔を窺うように尋ねた。
眉間の皺を刻みながら、怒っていたことに零一は気付いていない。
「う、・・・・ん・・・・娘は・・・どうした・・・?」
「娘?」
辺りを目だけで窺いながら夢見心地に呟く零一に、妻は首を傾げて訊きかえした後優しく笑んだ。
「娘ならここですよー。・・・お父さん。」
眩しいからと瞼を覆い隠した左手を彼女は引き寄せて大きく膨らんだお腹に当てた。
「あ・・・・。」
やっと自分の状況に気付いた。
零一は二人掛け用のソファに妻と並んで座っていたはずが、いつの間にか生まれてくる赤ん坊の為に靴下を編んでいた妻の膝の上で頭を乗せて眠りこけていた。
寝返りを打って顔を横に向けると、ぽこっと大きく突き出たお腹が見える。
「すまない。俺の頭が重かっただろう?すぐに起き上がるから。」
心から詫びてから、すっかり目を覚ました零一は彼女の膝の上から上半身を起こして隣に座り直した。
「心配しなくて大丈夫ですよ。零一さんこそ珍しいですね、ソファで転寝するなんて。
私には眠かったらベッドに行きなさいっていっつも注意するくせに。」
妻は言われ続けているせいか、その場面を思い出して口を尖らした。
「当たり前だ。君に風邪をひかれては困る。もう君一人の身体ではないんだぞ。
うっかり者の君に、もっと注意をしてほしいだけだ。」
「はあい。」
微笑んで頷く妻を見つめながら、零一の大きな手は彼女の膨らんだお腹を優しく擦った。
労わるように、慈しむように、何度も、何度も。
「もうすぐ生まれるんだな・・・俺達の子が・・・。」
零一は嬉しそうに目を細めて呟いた。
「零一さん・・・。」
二人はお互い見つめ合いながら、いつしか手が重なり指を絡める。
「俺は、君とこの子をどんなことがあっても絶対に守ると誓おう。」
色素の薄い瞳が潤んで輝いた。
「はい。」
どちらともなく唇が寄せられる。
軽い口付けを交わした後、零一は眉間の皺を一層深めて真面目な顔で妻に言い聞かせた。
「・・・・もう一つ大事なことがある。
この子が生まれたら俺はカンタループには絶対行かないことにした。君もそのつもりで。」
「えっ!?それは一体どうして・・・・・。」
驚いた顔で妻は訊きかえした。
結婚しても妻を連れて親友の店に行っていた零一が、そんな冷たいことを言うとは思わなかったからである。
彼女の言葉を受けて、零一は厳しい口調で言い加えた。
「どうしてではない!俺は君と子供を守ると言っただろう?
この子に悪い虫がつかないようにする為だっ!!
いいか?絶対にカンタループにこの子を連れて行かせないように!
後、マンションに益田が来ても絶対中に入れるな!!わかったな?」
「はあ・・・。」
たかだか見た夢のせいで決められたことなど、彼女は知らない。
だが、まだ赤ん坊なのに今から零一のこの過保護ぶりでは、娘の将来が心配でならない妻であった。




FIN


<あとがき>
うおおおおおおおおおおおおお!!!\(゜ロ\)(/ロ゜)/
読んでくださった「蟻地獄」のむち子さんが萌えてくださって、怒声の零一さんを絵にしてくださいましたよーー!! (*´Д`*)ハァハァ
ありがとうございます!むち子さん! (*´Д`*)ハァハァ
マジ横浜方面に足を向けて寝られませんよ!!
今回は一週間休みということもあり、きちんと氷室先生お誕生日SS間に合いましたー!(*^▽^*)v
しかし、ワンデークオリティ(しかも4時間)なんで、雑な会話しかない自分に凹む・・・orz
「アイスドールちゃんシリーズ楽しかったです。ぜひ益田とくっついて氷室父に挨拶をしてほしいです。」と
今年の5月12日に感想をいただいたあなた!そうそこのあなたです!
素敵なおもろいネタをありがとうございます! 今年の誕生日のネタにあっさり決まりました!
こんなガッカリクオリティになってしまいごめんなさい!でも楽しんで書かせてもらいましたー!
やっぱり先生はあほすぎて最高やー!← 絶対かっこいいと単語が私のSSの中には無い(笑)
<2015/11/4>


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