「ポッキーゲーム」 11月11日は、日本で有名な大手菓子メーカーが自社のとある商品をより広く知らしめる為に定めた日らしい。 ずばり菓子名がそのまま付いた「ポッキーの日」である。 天童壬は、画面を見ないで大学の選択科目の課題をやりながら、音声が流れっ放しのTVからそんな情報が耳に入って来た。 彼にとってはどうでもいい情報であるが、深夜の娯楽番組では「ポッキー」を使用して盛り上がる方法を紹介していた。 芸人達が自分達の存在感を出そうと大きな声を出して、壬の耳には何か喚いているだけの耳障りな音になって届いた。 「・・・くっだらねー・・・。」 シャーペンをレポート用紙に雑に走らしながら呟いた。 それでもTVを消さないのは、一人暮らしが静かで寂しいと思うようになったからである。 大学に合格した壬は「学生結婚する」という浮き立つ気持ちを抑えられなくて家を出たが、今まで煩わしいと思っていた家族がいないとこれほど音がなく静かなのだと実感した。 最初は一人が気楽で恋人も遊びに来て自由と幸せを満喫していたが、夜彼女を送って帰ってきた部屋に入るといつも寂しいと思った。賑やかな家族がいた世界からまるで切り離されたような気持ちになる。壬の見つめるベッドの置かれた部屋の、昭和の名残のような色あせた6枚の畳がやけに広く感じられた。 初めて壬はけんかに明け暮れていた高校生の頃、自分が如何に親に頼って遊んでいたかを実感したのだった。 彼が選択した科目の教授は、個々がパソコンで打ち込んで指定のメールアドレスへ送信する、という殆どの大学で取られている教授側も生徒側も楽な方法を良しとしなかった。 それは教授が私用のパソコンをそもそも持っていなかったことによる。 IQ200ある、羽ヶ崎学園でもここ一流大学でも有名な教師だが、変わり者としても有名であった。 壬の方もパソコンを使う勉強方法は浪人時代でもしたことがなかったし、何より浪人してからの一年間は彼の家庭教師として一流大学へ通っている恋人からレポートの書き方も鍛えられていた。 中学生の頃は上位の成績を取っていた彼なので、元来優秀である。教えられたことも、理解するのが早かった。 鍛えられたおかげで、要点をきちんと押さえたまとめ方などはお手のものだった。 『本当は隣に住んでるんだからここで渡したいんだけどな・・・。』 一度、壬はうっかり忘れていたレポートを徹夜して丸二日で何とか書き上げたことがある。 提出日はとうに過ぎていたので、夜遅くに彼は直接隣の部屋の扉を叩いたのであった。 中から出てきた教授にレポートを渡そうとすると、すぐに却下された。 「アパートではただのお隣さんですから。」 教授は笑顔と相変わらずののんびりした口調で、レポートの受け取りを拒否し部屋の扉を閉めた。 翌日教授室へ渡しに行くと、「ごくろうさまでした。」と素直に受け取ったのであった。 締め切りがとうに過ぎていたが、壬の評価は下がらなかった。自分が高校の頃から思っていたが、やはり不思議な人物である。 「よしっ!できたぜ!!」 レポートの誤字や文章におかしなところはないか、確認していると、まだ番組が続いていて合コンのゲームでのポッキーの使用例が出ていた。 何気に目線をTVに合わせてしまった壬は、そこで小学生の時以来食べてないこの菓子に面白い使い方があることを初めて知った。中学生から喧嘩に明け暮れていた壬は恋人を作らなかった。早熟な中学生ならいてもいいものだが、親友と遊ぶ方がよっぽど気楽で楽しかったのだ。 「へええ〜・・・。」 感心はわずかで、男のいやらしい下心が見えるような頷きであった。 一人でいる部屋が音も無く寂しいからと、電源を入れたTVだったがこの夜は思いの他とびっきりの情報をくれたものだと壬はほくそ笑んだ。 11月11日の午後、大学から帰る途中にあるコンビニに壬は立ち寄ると「11月11日はポッキーの日」と大きなポップで飾られた入り口近くの棚に様々な味のポッキーが並べられていた。 「こんなにあるのか・・・。」 定番のチョコ味から、イチゴ味、キャラメル味から値段が300円以上の高い商品も置かれている。 「ま、これでいいか。」 壬は一番人気の細長いスティック状のチョコ味を手に取った。 『帰りにコンビニ寄って飲み物を買うから、お前何がいい?』 先程のメールにジュースと返事が来ていたので、彼はコーヒーとオレンジジュースの1.5Lのペットボトルとついでにポテトチップスのかごに入れてレジへ向かった。 外に出ると澄んだ風が彼に向かって一度吹いた後、横に立っていた木の枯葉も微かに揺らした。 空を見上げて陽が落ちるのが早くなったなと思いながら、ブルゾンのファスナーを首元まで上げた。 薄いビニール袋に入った二本の液体を片手で軽々と持ちながら、彼は帰路についたのだった。 年齢は同じだが、一年先輩の恋人が午後からの授業が休講となり先に自分のアパートにいる。 そう考えると、浮き立つ心を抑えきれずに彼の足取りも手に持った荷物を感じないように軽かった。 「ただいまー。」 壬が玄関の安普請(やすぶしん)の扉を開けると、小さく軋んだ音と共に彼女が「お帰りなさい」と声をかけた。 玄関からすぐの台所には簡素な木目のテーブルと椅子があり、その上に食材が置いてあった。 男所帯で過ごしてきた壬の一人暮らしを心配した恋人の母親が、よく彼を夕ご飯を食べていくように家に招くのだが、そんなに甘えられないと壬はたまに断っている。親に無理言って家を飛び出し一人暮らしをしている身なので、生活費の少しでも足しにしようとバイトをしているせいもあった。 金髪から黒髪に戻して真面目に一年間浪人したせいもあり、授業をさぼることなく受け大学の成績も上位に入っていた。 大学はレポートの優劣と試験の出来不出来で成績を付ける二通りある。 彼がバイトをしながらも成績が上位なのはレポートが優秀なのと、試験に出る範囲の復習もこなしてるからであった。 そんな壬を、恋人の母親は今時の言葉遣いだが苦学生だと勘違いして応援していた。 彼がバイトをしている意味を知ったら、恋人の母親は卒倒するだろう。 何故ならお金を少しでも貯めて恋人と学生結婚するのが彼の夢だからである。 現実を省みて学生結婚はいかに難しいか実感したが、それでも壬には自分を奮起させる大きな夢であり目標なのは変わらなかった。 「ただいまー。ジュースのついでにお菓子も買ってきたから一緒に食おうぜ。」 やましい男の下心などわからないように、さりげなく壬は伝える。 「壬が甘い物食べたいなんて珍しいね。」 ポテトチップスなどのジャンクフードやファストフードは食べるが、恋人とのデートの時ぐらいしかケーキを食べなかった。 微笑みながら彼女は早速グラスとお菓子を並べる皿を用意した。 恋人がポテトチップスを皿に出して、ポッキーは添えるように並べている間に、壬はジュースとコーヒーをグラスに注ぐ。 高校生の頃他人に全く気を遣わない性格の彼が、恋人に甲斐甲斐しく接するのを羽ヶ崎学園のクラスメイトが見ると大変驚くだろう。 台所の隣の8帖ほどの居間にはベッドの前に勉強をする為の四角いローテーブルが置かれてあり、彼女はお盆に菓子皿とグラスを乗せてそこへ持っていった。 テーブルに置いてから、いつもと同じベッドの縁(へり)を背もたれにして二人並んで座る。 楽しい会話をしながら、壬はいつ”それ”を切り出そうかと考え、相槌を打ちつつも会話はそっちのけで思考を巡らせていた。 「なあなあ、ポッキーゲームってしたことあるか?」 結局考えがまとまらなくて、唐突に彼は話を切り出した。 「えっ?何それ?」 彼女は大学に入ってから壬という恋人が出来たので合コンには行かなかったし、高校時代から続けている喫茶店のバイトがあったのでサークルやクラブにも所属していない。 このゲームの内容は知らなかった。 「じゃあ一回試しにやってみようぜ。ほらお前ポッキーくわえてろ。まだ食べるなよ。」 壬はそう言って、ポッキーのチョコレートがかかった先を彼女の桃色の唇に向けた。 素直に彼女は口に銜(くわ)えた。 その時彼女には、口に挟んだポッキーのチョコが溶けていく味を楽しむ余裕はあったが、すかさず壬がキスをしようとするように恋人に顔をそして唇を近づけたので驚いて咄嗟に身構えた。 しかし二人の間にはポッキー1本分の距離がある。 キスは出来ないと思っていたら、いたずらが成功した子供みたいにニヤリと壬は片方の口端を上げて笑んだ。 その笑顔に彼女は勘付いた。これがゲームではないことを。 「じゃ、このポッキーをお互い端から食べ続けて、最後まで残った方が勝ちな。」 「んんーー!?」 彼の言葉を聞いて、恋人は目を丸くして驚いた。 壬は言うや否や彼女の口から飛び出してるプレッツェル部分を歯で噛み砕いていく。 その時やっと壬の言う”ポッキーゲーム”の趣旨がわかったのだ。 「ふぃんーーーっ!!」 律儀に口に銜えたまま彼女は壬の名を呼んで、何とか押し留めようとするが、聞く耳をとうに塞いだ壬がどんどん顔を近づけていく。 逃げようにもポッキーで繋がって逃げられないので、両手で彼の胸を押そうとしたが、その前に壬の両手が優しく絡め取った。 ポキンポキンとプレッツェルの折れていく音がやけに大きく響く。 『全然ゲームじゃないよお〜。』 壬の目が、顔がどんどん近づいてく。彼はやめる気配がない。 連れて心臓の鼓動も早まり高鳴った。 破裂しそうな胸の痛みに耐えかねて、恋人は勢いよく目を瞑った。 それが伝わり歯を食いしばったせいで、彼女の銜えていたポッキーは口先であっさり折れた。 「はい、お前の負けな。」 残りポッキーを食べ終えて、壬は嬉しそうに自分の勝ちを強調した。 体温の熱で溶けたチョコがまるで口紅のようにふっくらと赤い唇に付いて、壬は顔を近づけてキスをして舌でゆっくり舐め取った。 『うわ、何だ、コレ?超甘い・・・。』 チョコ味のせいだが、恋人の唇はやたら甘いと感じる。 デートの時に彼女が食べるケーキとは比べ物にならないくらい甘くて美味しい。 もっと食べたくなる。 「じ・・・ん・・・。」 塞がれた唇から、まだ抵抗の声を出す。 「負けたのはお前だろ?大人しく言うことを聞いてな。」 両手を絡め取ったまま彼女とのキスを続ける。 彼女の口内に舌を差し入れ、まだ溶けてなかったプレッツェルの欠片も濡れた舌ですくい取り味わった。 「ポッキーゲームって案外面白いんだな。」 肩で小さく笑って、壬は彼女を抱き締め唇を味わい尽くした。 |